秋 その2
10月3日
「…アラーキー今週末まで?」と水曜に気づいた。行こうよ、と自分を誘って金曜午後休。
ゆるゆると下道を走り、夕刻に到着。「芸術の秋、運動の秋、…食欲の秋!」と三番目を強調しながら 好きなお店へ足をはこんだ。さむくなると、こっくりとしたスタウトが一層おいしい。
川向こう、古町までおさんぽ。広いまちだな。
知人おすすめの店に初訪問。お刺身やかきあげ(小柱ととうもろこし)、いちじくの白和えなどをいただいた。お酒もちょびちょび、県内・県外不問で。まさか佐渡にも蔵があるとは。ぬる燗でいいかんじ。
カウンターに立つご主人のむだのない動きは、眺めていて飽きない。言葉数は少ないけれど、誠実なお人柄がにじみ出ていた。それを支える奥さまは、からりと明るくて気さく。ひとりでも居心地よく食事ができる、よいお店だと思う。
夜風に吹かれて逆戻り。デジカメもってくりゃよかった…。
別のバーで飲みおさめの古代米アンバー。赤みがかっているのはアントシアニンによるものか。
きょうもいい日だった、としみじみしていたら、隣席の新潟美人ふたりが気さくに話しかけてくれた。店長さんからは「美術館にいくならコレクション展も見るべし」とのおすすめをいただく。いい方たちだ、といっそうしみじみ。
10月4日
開館と同時に美術館へ。顔の作品群もあるかと思ったけれど、ちょっと違っていた。奥さまとの日々の記録、小部屋を彩る無数の裸体(部屋の入り口はカーテン仕切り)、新潟の人々の姿など、アラーキー作品の今昔を切り取ったような構成だった。
一方の、前夜すすめられた展示。恥ずかしながら、はじめて名前を知った写真家さんだった。でもどこか惹かれるものがあって。その理由をうまく言語化できないのがもどかしい。
ものをみるという行為は、
たいへん醒めた行為のように思われます。
しかし醒めるという状態には、
とても熱い熱い過程があると思うのです。 1968年
会場で目にした彼のことばが、頭から離れない。
家路につく前に、食欲の秋へ回帰。車で来たとき、ここはハズせないの。
わが家へのおみやげ。瞬殺だった。
笹川流れを通って無事帰宅。今度ドライブできるのは来春かな。