この君 air

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煙たい父

 

注) 食前食後を避けてお読みください。

 

私の記憶の範囲内で、父は健康診断を受けたことがない。とにかく医者が嫌い。風邪をひいたとき、「学生時代の同級生だから」という理由で小児医にかかった過去も持つ、迷惑な人である。

 

そんな父に異変が起こったのは、11月初旬のこと。トイレに立つ回数が日に日に増えていたのを、母は少し前から気にしていたらしい。ある日、仕事から早々と帰宅すると、酒も飲まずに寝てしまった。排尿しづらく、下腹も痛いという。「なんでそうなる前に医者に行かないの!」と母に説教され、布団の中でしょげる父。

 

翌朝、病院で血液検査を受けると、即検査入院を告げられた。「せっかくの機会だから、身体のすみずみまで診てもらいなさい」とフルコースを堪能。入院の事実を知るのはわずかな人のみで、他には緘口令が敷かれた。

診断結果は「前立腺肥大+腎機能低下」。結果が出るまで、家族の中にしずかな不安が漂っていたが、杞憂に終わって幸いである(父自身、前立腺がんの特徴を兄にネットで調べさせていたようだ)。女医さんに「バイ菌もだいぶ溜まっていますね。昔ワルさしたのでは?」と問われ、イヤイヤんなことありませんョとかわす父にも、安堵の色が伺えたとか。手術はとくにせず、点滴と薬でようすをみることになった。

入院期間は約2週間続いた。酒も、どんなに嫌がられても止めなかったタバコものめない。排尿困難のため、股間には四六時中チューブをつないだままという、前田亘輝も驚きの恥辱プレイを強いられた。血圧は正常で、排尿以外の体調不良のない父は、病室でもやや浮き気味の健康人。自分の尿の入ったパックを傍らにぶら下げ、病院食の味気なさを梅干(←母に持ってこさせた)で緩和しながら、日がな一日、窓から美しい山を眺める退屈かつ優雅な生活を過ごした。

 

器具を使って尿を出す訓練を経て、ようやくシャバへ。退院の晩のごちそうは、ちらしずし。塩分のとりすぎはダメということで、醤油を垂らす父を監視する母の眼には凄みがあった。

最近は、(次回の診察までの義務である)自宅での排尿量の記録にもだいぶ慣れてきたようだ。母が退院前に家中の灰皿を撤去したことからも察したが、禁煙は退院後も続けることに。今は換気扇の下でハッカ味のパイポを吸うという、不可解な行動をとっている。本人曰く「気分が出る」らしい。

そして緘口令を敷かせていたくせに、知人から電話があると「…実はオレ、入院してた!前立腺!でも今は入院前より健康!」とにこやかに自慢している。健康ってのも、煙たいものだ。

 

「親の命あるうちに身を固めるか」という一刻の焦りも煙と化した今、私は父の代理でなたまめ茶をネット注文するのに忙しい。