コーリング
山のうつくしさにうっとりしつつ朝を過ごしていたら、ぐらり。背の高い建物は一長一短だなと嘆息したきのう。地震体感のある方の声には日頃から目を通しているので、近いうちくるだろうと予測はできていたけれど、実際そうなると怖いものだ。用心せねば。
けさ。台所に行くと、見覚えのあるものがさりげなく置いてあった。例の天体チョコである。昨晩、母がひとりのときを見計らって、みんなで分けて食べようともってきたらしい。一粒も手をつけていなかった。
私「これなに(←しらじらしい)」
母「兄ちゃんがもらったって。小学校のときのワジマさん以来だ」
私「ひとり暮らしのとき、もらってるかもしれな」
母「んなわけない」
食い気味の否定は母の直感か。ワジマさん、いままでありがとう(前レコードホルダーへの敬意の念)。そしてその座に満を持しての創造主降臨。
さらに母は「これいくらだと思う?」と妹に値踏みさせ、「…倍返し」とつぶやくのであった。男じゃなくてよかったなと、ちょっと思う。
小学校時代のバレンタインといえば、高学年のとき、いちごムースをハートに型取り「◯◯くんへ」とチョコペンで書いて男子数名に配給した、かわいらしい歴史(もとい黒歴史)がある。そのなかに好きな子もいたけれど、みんな桃色の義理ムース(音感が「ぬちまーす」に近い)。博愛主義である(ただの照れによるカモフラージュである)。当時から「チョコを溶かして再加工することの意味とは」「みんなが同じものを渡せば食い飽きるので、甘酸っぱさで口直し」というひねくれた思考の持ち主だったことに変わりはないが、そこで全女子力を消耗してしまったのかもしれない。以来、チョコはもっぱら自分用…
と書いていたら、私のほうが数段やばいなと気づいたのできょうはここまで。